神戸製鋼所の「神戸」は何を語る 川崎神商会頭「鈴木商店」を通じて思う

20230424川崎神商会頭

【神戸経済ニュース】明治から昭和初めに神戸市を本拠地として、三井や三菱の財閥を圧倒する勢いで成長し、第一次大戦後の反動不況で破綻した総合商社の源流「鈴木商店」を振り返るシンポジウムに23日、神戸商工会議所の川崎博也会頭(写真)がパネリストとして出席した。川崎会頭が社長を務めた神戸製鋼所(5406)は、鈴木商店が1905年に旧小林製鋼所を買収して現在の名称になった。鈴木商店があった当時の社名が残るほぼ唯一の会社でもある。ただ神戸製鋼所の社名には、ちょっとした謎があると川崎氏は話していた。

 鈴木商店の大番頭で実質的な経営者だった金子直吉は、設立した多くの会社に「帝国◯◯」「大日本◯◯」といった社名を付けたのに、なぜ神戸製鋼所だけは「神戸」だったのか--。鈴木商店の系譜を受け継ぐ会社で唯一「鈴木」の名を残す、鈴木薄荷(神戸市中央区)の高畑新一社長に「意外に深い意味があるのでは」と指摘され、川崎氏も改めて考えるようになったという。その1つの答えは、同時期に北九州市で設立された官営八幡製鉄所(現在の日本製鉄)と、別の立ち位置を志向したということ。

 川崎氏は、答えを「確固たる検証はできないだろう」としながらも、自らの解釈を語る。「インフラ建設や造船に必要な鉄の大量供給は官営製鉄所に任せて、神戸で役に立つことが日本に貢献することだと考えたのではないか」という。買収当初は船舶向けに、エンジンの回転力を伝えるシャフトや、いかりなど、まさに神戸港に出入りする船に必要な部品などを作った。世界各地からの情報が集まる貿易港で、最先端の場所だった神戸の需要に応えること自体が、さらに神戸に情報をもたらしたり、技術の進歩になったりと、日本の発展につながるというわけだ。

 川崎氏が会頭になって掲げたスローガンは「行きたい、住みたい、働きたい、一歩先ゆく神戸」。重工業の発達と同時に、海外情報や海外文化を国内向けに発信することで、都市としての役割を得てきた神戸にとって「一歩先ゆく」ことができるかどうかは死活問題だ。ネット社会になって、発信する先は日本から全世界に変わった。神戸医療産業都市は発信源として有力候補だが、「さらに1つ2つ」発信できるものがほしいという。たとえば次世代エネルギーとしての「水素の主要技術を神戸から発信できれば」と期待を込めていた。

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