久元神戸市長、神戸開港前後の遺構「直接見られる開発計画を」 開港5港で初発掘

20231227久元市長遺構

【神戸経済ニュース】神戸市の久元喜造市長は26日の定例記者会見で、神戸港開港前後の神戸港の様子を映す遺構が見つかったと発表した(写真)。勝海舟の提言で開設し、坂本龍馬や陸奥宗光も学んだ「海軍操練所」の防波堤とみられる遺構と、あわせて神戸港の開港直後に中心的な岸壁だった「第一波止場」の遺構が同じ場所から重層的に見つかった。再開発用地として神戸市が国から取得した土地で用途は未定だが、久元市長は「何らかの方法で遺構を直接見ることができるような開発計画を作ることができれば」との意向を示した。

 神戸市が春ごろに着手した発掘調査で見つかったのは、神戸開港前である1864〜65年に築かれた海軍操練所創設期の石積み防波堤、開港した1868年ごろにできた初期の第一波止場の石積み防波堤、さらに明治中期以前の第一波止場の石積み防波堤と信号灯の礎石とみられる。第一波止場は神戸税関に最も近く、明治中期以降に貿易の中心が新たに完成した新港突堤に移るまでは、神戸港の中心的な岸壁だった。これらが同じ場所から現れたことで初期の神戸港は、大型艦船の入港を想定した海軍操練所跡を活用して作られたことを示す可能性がある。

 幕末に開港した函館、横浜、新潟、神戸、長崎の5港では、いずれも開港当時の施設の上に現在も別の施設などがある場所がほとんどだ。このため幕末までに築かれた港湾施設を考古学の手法で調査することができたのは、5港の中で初めて。従って当時の遺構を発掘したのも5港で初めてになった。見つかった場所は神戸市中央区の京橋付近と、「ウォーターフロント(湾岸部)の開発を考えるうえでも重要なエリアなので、開発計画との調和を取りながら遺構を直接みられる手法を検討していきたい」と久元氏は話していた。

 海軍操練所の敷地は約5万7000平方メートル(5.7ヘクタール)とみられており、このうち今回の発掘調査は800平方メートル。ただ初期の神戸港の遺構も重層的に見つかったことで、神戸や日本の幕末の様子を知るうえでの貴重な手がかりになりそうだ。神戸市は1月13日、1月14日に一般向けの現場見学会を開催。27日から1月12日まで神戸市のホームページ「神戸市イベント申込サイト」で参加の申し込みを受け付ける。

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