神戸ABCの旅(2)「B」弁天町

2019年4月7日に「編集長ブログ」に掲載した記事の再掲です

●第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第2回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないか、という企画です。アイウエオ順だと途中で飽きそうだし、なんとか26回ぐらいでひと区切りというわけです。よろしければ、引き続きお付き合いください。

 2回目ということで「B」のスタート地点に「弁天町」を選びました。そもそも神戸に弁天町という地名があると言われてもピンと来ないかもしれません。弁天町というと普通は大阪環状線の駅名にもなっている大阪市港区の地名です。しかし、あるとき、新神戸駅の観光案内所の前にある地図を何気なく見ていると、「弁天町」「弁天ふ頭」という文字に気づいたのです。

地図
新神戸駅の案内地図

 この辺は編集部からも近く、ホームセンターコーナンにはよく消耗品を補充に行くこともあり、わりと知っているつもりでした。しかし弁天町というのは聞いたことがなかったし、しかもこの辺は弁天「埠(ふ)頭」といっても岸壁には柵が取り付けてあって、船を着けられたようには思わないな、と気になっていました。それでとにかく確認してみようと。

弁天埠頭
弁天埠頭

 新神戸駅の案内地図によると、これが弁天埠頭です。なるほど。ここだけは岸壁に柵がなく、船から伸びたロープを結んでおくビットという突起物( ┓ ←こういうやつ)も整備されている。確かに船が泊められるようになっている。埠頭という言葉はウソではなかった。埠頭は不当表示ではなかったわけです。そして、この左側は下山手通ぐらいから暗渠(あんきょ=地下河川)になっている宇治川の河口になります。

 弁天埠頭の奥に見えている体育館のような建物がホームセンターコーナンで、ここの町名が弁天町に該当するはずです。ですが、この周辺に「弁天町」を示す町名表示などが一切ありません。コーナンの店員さんに「ここって弁天町ですか?」って聞いてみたところで、聞かれても困るだろうし、どうしようかなと。そして弁天町というぐらいだから、昔は弁財天をまつっていたのか、といった案内板もなし。残念だな、元町商店街を通って編集部に戻ろうかなと思っていると、目に入ってきたのが大きな「弁天町」の文字でした。

弁天町看板
The Bentencho

 これ以上ない、というぐらい弁天町です。神戸駅方面からハーバーランドに向かうとき、いつも地下を通るので交差点の名前など気づかないのですが、この日はコーナンから神戸中央郵便局の方向に歩道橋を渡ったため、この交差点名に気づいたのでした。ただし町名の由来などは分からなかったので、ダメ元で調べてみようと思って神戸中央郵便局の前あたりでポケットからiPhoneを取り出し、「弁天町 神戸」で検索してみました。すると

 「弁天町という町名は平清盛が勧進したという兵庫七弁天の一つである花隈弁天(厳島神社)に因む。 この花隈弁天は、平安時代の承安3年(1173年)に平清盛が経ヶ島を築造した際に、厳島明神を勧進して宮島の七浦に因んで7ヶ所に祀ったものの一つであったという。 花隈城が築かれた永禄10年(1567年)に花隈弁天は生田神社境内に移され、更に天明年間(1781年~1789年)に宇治川河口に移された。弁天の移された海岸は弁天浜と呼ばれ、これが町名の由来となった。」(ウィキペディア「弁天町(神戸)」)

……だそうです。意外にもしっかりした分量の説明がありました。

 そうか、やっぱり由緒のある地名だったのね、ということで、花隈弁天に足を運んでみました。すると、ちょうど桜が見頃。神社名は「厳島神社」だそうです。美しい。

厳島神社
厳島神社(花隈弁天)

 そして、この左端に写っている由緒記をみると……。

由緒記
ここで知りたかった。

 ウィキペディアで読んだのとほぼ同じでした。図らずも、ウィキペディアの「弁天町(神戸)」の項目が正しかったのを検証してしまったのでした。しかも最初の弁天町、そして神戸中央郵便局、そして花隈と、まさに弁天さまが遷移した経路をたどって歩いてきたことも分かりました。なんという偶然。

 そして「神戸最初船場鎮守」でもあるのだそうです。そういえば平清盛が社殿を大きく整備したことで有名な広島県廿日市市の宮島も、神社名としては厳島神社。船の安全を祈願して、清盛が弁天さまを大事にしていたことがうかがえます。

 ちなみに清盛七弁天というルートがあって、順に①和田神社(安全弁天)、②真光寺(大楽弁天)、③能福寺(清盛くん)、④来迎寺(松王丸くん)、⑤恵林寺(運動弁天)、⑥氷室神社(恋愛弁天)、⑦氷室神社(恋愛弁天)、⑧厳島神社(健康弁天)という流れで8カ所の弁天さまを巡るようになっています。「神戸みなもとの道」だそうです。神戸のルーツを探る取り組みのようですので、第2回という早いうちに、ここを訪ねることができて、よかったと思います。今後の参考に、するかどうかは分かりませんが。

 花隈といえば、もとは花柳界があり、料亭街だったことでも知られています。遊び人として非常に有名だった初代兵庫県知事の伊藤博文が入り浸っていた家も花隈。第2次大戦後、徐々に廃れ、1995年の阪神淡路大震災で壊滅したという話を聞いたことがあります。その面影はと探してみると、意外にも料理屋さんが多いことに気づきます。ランチ営業しているお店の1つに入ってみました。

豊福天ぷら定食
料亭旅館「豊福」さんの天ぷら定食

 その名も「料亭旅館『豊福』」でした。うどんなどは500円程度で提供なさっているということで、お昼スポットとしては人気のようでした。このときに頂いたのは「天ぷら定食」で1000円でした。写真では分かりにくいかもしれませんが、えび天が2本も付いています。サクサクで美味しかったです。編集部からも遠くないので、また伺おうかと思います。

▽シリーズ「神戸ABCの旅」

 ・第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

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