神戸市の油井副市長が退任 災害への備え「状況の変化に応じて柔軟な対応を」
- 2023/03/31
- 05:26
【神戸経済ニュース】2期4年の任期を終えて31日に退任する神戸市の油井洋明副市長(64、写真)が記者会見した。副市長として道路や港湾のインフラ整備のほか、防災を主に担当した。災害への備えは「状況の変化に応じて柔軟な対応を」と呼びかけ、これからの担当者らに後を託す。
副市長の任期のうちほとんどが新型コロナウイルス対策の期間だったが、神戸空港に国際線が乗り入れることで関係自治体や経済界が合意したという大きな成果も出た。4月1日からは神戸市立博物館長に就任する予定だ。記者会見での主なやり取りは以下の通り。
ーー神戸空港の国際化が決まったのを振り返ってどう思うか。
「いろんな経緯の中で関係者の合意ができたのは、本当に感慨深いものがある。ただ、いまのターミナルでは国際空港としては、なかなか運用できない。サブターミナルの整備やエプロンの整備など、急ピッチで仕事をしないといけない。2025年の大阪・関西万博で国際チャーター便の運航、2030年には国際定期便ということで、段階を経たハード整備が必要だ。今後は直接ではないが、神戸空港の応援者として見守っていきたい」
ーーほかに携わった事業で印象に残ったものはあるか。
「私が副市長になって最初の年にラグビーのワールドカップが開かれた。本当にインバウンド(訪日外国人)の方がたくさん来られた。日本戦はなかったが、神戸で4試合。そのときの会場の盛り上がりは非常に印象深い。その前後の街のにぎわいも(印象に残った)。神戸空港が国際化することで、ああいう形が日常になるのだと思った」
「ノエビアスタジアムの芝は『ハイブリッド芝』といい、自然芝と人工芝を組み合わせた形になっている。Jリーグで初めてハイブリッド芝が認められた次の年が、ラグビーのワールドカップだった。国際的な選手がスクラムを組んだとき、本当に芝は大丈夫かなと思ったが、試合は非常に成功裏に終わったということで、これも印象に残っている」
ーー公務員生活40年ではどうか。
「就任のときにも少し話したかもしれないが、土木を選んだのは橋を作りたかったからだ。係長のときぐらいに明石海峡大橋の関連の仕事に携わり、平成10年(1998年)に完了した。あれからもう20数年経ったが、役所生活の中で非常に思い出深い事業の一つだ」
ーー残る職員に送る言葉が何かあれば聞かせてほしい。
「時代の変化というか、社会情勢の変化は非常に激しいものだと思う。そういうのを適切にとらえて、従来型の仕事の仕方だけじゃなく、いろんな分野に対して新しい発想でチャレンジをしてほしい、ということ。きっと残った職員は、そのようにやってくれるだろう」
ーー阪神淡路大震災のときは何をしていたか。残る職員に伝えたいことはあるか。
「阪神淡路大震災のときは、当時の『整備公社』にいた。明石海峡大橋の関連で舞子駅前の再開発や、舞子駅高広線という道路整備を担当していた。市役所2号館では、もともと所属していた都市計画局の下の階が押しつぶされた。余震が続く中でも震災復興の街作りを考えるには基礎になる資料が必要ということで、安全を見ながら資料を取りに上がったのを覚えている」
「震災に対する備えというのは非常に大事だと考えており、神戸市もいろんな取り組みをしているが、たとえば人口の構成の状況が変わったり科学技術が進歩したりと、状況変化がある。その変化に合わせて、備えをどういうふうにしていくか」
「災害対応のあり方は、一度決めて『これでいける』ということではなく、新たな状況の変化に応じて、柔軟に対応していくということだろう。震災だけでなく、神戸市は歴史的に土砂災害も非常に多い。もし、こういうことが起こったときに、どういった行動がとれるのか。市民に周知をして、市民が危険に陥らないように、危機管理(の部局)を中心にがんばってほしい」
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