アパレルや洋菓子など「衣・食・住・遊」に関する生活文化産業の業界団体である神戸ファッション協会(神戸市中央区)が「ファッション都市」の再定義に乗り出している。1973年の神戸ファッション都市宣言から半世紀を目前に、改めて神戸の魅力、神戸ブランドとは何かを問い直す試みだ。神戸財界では、神戸が往時の勢いを失った理由が、おおむね「新しい物事に触れる窓口としての港湾の優位性低下」であるとの共通理解ができつつある。そうした問題意識の中で、同協会も人材や情報が集まる場所としての神戸を、新たに組み立てるための表現を探る。
同協会は7日、一般向けワークショップ(研究会)「新・ファッション都市 神戸の未来をつくる」を開催した。神戸市内に拠点を置いてライフスタイルに関する事業を展開する経営者4人にインタビュー形式で話を聞いたうえで、約30人の参加者が4グループに分かれ、神戸の魅力や豊かさなどについて経営者らと議論した(1枚目の写真、中央にクロシェホールディングス=神戸市中央区=の沼部美由紀代表取締役)。複数のグループで話題になったのは、なぜ東京に行かず、神戸にとどまるのかということだ。事業の拡大を急ぐなら東京を拠点に移す以外に選択肢はあるのか。
確かに、神戸を拠点にする生活文化産業は苦戦している。神戸ファッション協会がまとめた「神戸ファッション産業規模調査」によると、生活文化産業11業種合計の売上高は、最新統計の2017年で1兆4179億円。阪神淡路大震災の3年後である1998年と比較して6.4%減った(グラフ)。企業数は1059社と98年(2152社)から実に半減した。グローバル化を進めたスポーツと、東京のデパ地下(百貨店の食品売り場)を席巻した洋菓子以外は連戦連敗だ。「神戸」といえば物が売れた時代は遠い昔の話になってしまった。
「昔は港町でかっこいいイメージだった」——。ファッション都市・神戸の再定義に向けた事前調査報告書の作成を協会から受託したクリエイティブ・ディレクターの杉山恒太郎氏が、3日に開催した業界向けの説明会で話していた。外国からの船が着く神戸は、伝統的な日本のライフスタイルとは異なる文化の窓口だった。欧州からの貨物船が多かった神戸では、特に日本でのヨーロッパ文化の日本での発信源になった。しかし金額ベースでは貿易の主軸が航空貨物に移り、明治時代から続いた欧州の海運会社による神戸〜欧州直行便も、ついに2016年に途絶えた。
神戸の課題として常に掲げられる人口減少にも、そうした背景があるというのは神戸の行政や財界の間で、共通認識になっている。神戸港と生活文化の豊かさの関係は、まさに神戸市の久元喜造市長が神戸経済ニュースの
インタビューで話した内容に重なる。だからこそ久元氏は、行政のトップとして神戸の将来に必要なものが「陸、海、空の交通の要衝として優位性を回復させる」、さらに「広域交通と域内交通の両面を結びつける結節点」である三宮の再開発だと主張する。
神戸商工会議所の家次恒会頭(シスメックス会長兼社長)が神戸空港への国際便就航にこだわるのも、このためだ。気軽に神戸を訪れられるようになれば、世界の多くの人にとって「よく知っている場所」になる。それは新しいことを「神戸で始めてみようか」という展開につながるだろう。日銀の桜井真審議委員(株式会社の取締役に相当)が神戸市で11月に開催した兵庫県金融経済懇談会に出席した。課題への対応について問うと「官民の連携もよく取れている」と評価していた。(2枚目の写真はポートアイランドにある神戸ファッションタウンの看板)
問題の焦点も、その対策としての舞台装置であるインフラ整備も、ほぼ方向性が見えてきた。そうした中で「みんなの意識を1つにまとめる『核』になる言葉は何か」(神戸ファッション協会の藤田修司部長)を探るのが今回の「再定義」の試みというわけだ。しかし本当に変化が訪れた時は、そのフィールドで活躍するプレーヤーも変化する。変化について行けない「老舗」が倒れることもあるだろう。特に大きな変化が起きるときは、中小・零細企業に負荷がかかる可能性は高い。変化を志向するには同時に、覚悟も問われることになる。
(神戸経済ニュース編集長 山本学)
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