(解説)新たな1万円札の「顔」渋沢栄一、神戸市と米商人を仲裁の実績

 政府・日銀は9日、1万円、5000円、1000円の各紙幣(日本銀行券)のデザインを一新すると発表した。新紙幣は2024年度前半に発行を始める。紙幣の刷新は5000円札に樋口一葉、1000円札に野口英世が登場した2004年以来20年ぶり。採用する肖像は1万円に渋沢栄一、5000円に津田梅子、1000円は北里柴三郎とした。このうち1万円札に採用の渋沢は「日本資本主義の父」とも呼ばれ明治期の資本市場の整備に尽力。神戸をめぐる動きでは、神戸市と米国人の商人モールスとの紛争を仲裁したという実績もある。(図は新たな1万円札の見本=日銀の発表資料より)

20190409渋沢1万円

 渋沢栄一記念財団(東京都北区)のホームページによると、1899年(明治32年)に神戸市と、横浜にあったモールス商会の会長だったJ・R・モールスとの間で紛争が起きた。神戸市が水道公債を募集したところモールスが応募し、100万円の売買契約を結んだ。モールスが半額を円建てで支払った後に受け取った証書を見て、「償還(神戸市による返済)は英ポンドで支払われるべき」と主張。文面の修正を求めた。だが神戸市はもともと円建ての償還が発行条件だとしてこれを拒否した。

 モールスは契約解除と損害賠償を求めて訴訟を起こしたが敗訴。だが再審を求め続けて紛争が1901年まで続いたことから、ソウル(当時の京城)と仁川を結ぶ朝鮮半島初の鉄道である「京仁鉄道」の売買でモールスと懇意だった渋沢が仲裁役を買って出たという。第2代神戸市長の坪野平太郎らとモールスが、東京・兜町にあった渋沢の事務所で話し合うことになった。

 渋沢による仲裁の内容はこうだ。モールスが取得した債券50万円のうち、半額の25万円を神戸市が円建てで即時に買い戻す。残りの半額はポンド建てで償還する代わりに、償還額を1円あたり16分の13に割り引く債券と差し替えることを決めた。またポンド建ての償還は満期を待たないことも決め、できるだけ早く両者のわだかまりが消えるように配慮した。神戸市がモールスとの仲裁を渋沢に依頼したことは、1901年12月20日付の新聞「神戸又日新報」も報じている。

 渋沢は第一銀行(現在のみずほ銀行)を設立したのに加え、王子製紙、東洋紡、いすゞ自動車、東京ガスなど現在でも活躍する多くの企業の経営に関わった。川崎重工業の鉄道車両部門は、渋沢も出資した日本初の民間機関車メーカー「汽車製造」を合併した経緯もある。渋沢の名前を残す数少ない会社の「渋沢倉庫」もポートアイランドを中心に神戸港の港湾施設として存在感を持つ。日本経済を近代化した立役者が1万円札に登場することで、改めて日本や神戸の経済活性化を願わずにはいられない。
(神戸経済ニュース 山本学)

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