神戸ABCの旅(14)「N」中山手通

●第14回 「N」中山手通

 シリーズ「神戸ABCの旅」の第14回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないかという企画です。1月9日に掲載した「M(舞子)」から、しばらく時間が経過しましたが、やっとこさっとこ、ABCの旅も後半に入ります。今年こそ最後までいきたいという気持ちはなんとか維持しています。まだ、あきらめてはいないのです(前も書いてるな)。最後の「Z」をめざして前進あるのみです(これも前に書いたな)。というわけで今回も気楽に、お付き合いいただければと思います。

20230505中山手通?
中山手通?

 「N」は中山手通にしようと実は前から決めていました。神戸の真ん中だし、県庁も住所は中山手通だし。中山手通を歩いて行けばいいのだから、簡単な街歩きになるだろうと思っていてのです。だから、もう1つのテーマ「上山手の痕跡を探す」というテーマを自ら作ったのが余計でした。というのも「中山手通とは何か」というの根本的に理解していなかったからなのです。

20230505中下山手
同じ道を歩いていると「中山手通」が「下山手通」に

 中山手通を東から西に歩くと、その道が下山手通に名前を変えるのだという勘違いをしていたわけです。つまり、図1のような誤解をしていたーー。というのも中学生のころ、この道路は東灘区の実家から大倉山の中央図書館に行くために、よく自転車で走っていました。そうすると、同じ道を走っているのに道路標識が「中山手通」「下山手通」と変化していくので、道路の名前が変わっていくのだと思っていました。つまり今回、「上山手通」を探すとすれば、たとえば二宮あたりに何かを探すことになるかと思っていたわけです。そうすると京都に近い方から上、中、下と道路が名前を変えるので、いかにも道路っぽい。

20230505誤解していた
図1

20230505こっちが正解
図2

 でも実際に道路脇の案内図を見て地図を見て分かったのは「中山手通」「下山手通」というのは、あくまで町名なのであり、しかも南北に並んでいる、ということでした。僕が今まで「中山手通」「下山手通」だと思っていた道路は「山手幹線」という名前の変わらない道路だったということです。「上山手通」の痕跡を探すとすれば、中山手通の北側、つまり山側の一帯ということになります(図2)。

20230505山本通
電柱にも「カミヤマテ」は見当たらず……。

 上山手通に相当しそうな場所は、ごっそり山本通1〜5丁目ですね。別名の「異人館通り」と呼ばれることも多い「山本通」も、とても昔からある地名のようです。さらに検索してみると、同じように「上山手通」を調べようとした方がいらっしゃって、古地図には山本通とは別に、上山手通が存在していたようなのです。ただ、明治初頭こそ存在した地名でありながら、すぐに中山手通に編入されたということでした。

 古い地名は意外に宗教施設や、公民館などに残っているものなので「上山手教会」「上山手公民館」などを探してみても、そこまで古いとなると、さすがに残っていないようです。もう1つ、古い地名が残っているケースが多い電柱でも、「カミヤマテ」という名前は見当たりませんでした。さすがに古すぎて、痕跡も残らないのでしょうか。今回は、ちょっとした謎を解き明かしてやろうと意気込んだ割には、そもそもの理解不足が発覚するわ、そもそも見つけにくい痕跡だわと、消化不良に終わるという残念な回になってしまいました。しかし、この辺りは用事で歩くことも多いと思われます。ふとしたときに「これは痕跡かも」ということが、起きればいいなと願います。

(神戸経済ニュース編集長 山本学)

▽シリーズ「神戸ABCの旅」
・第4回 「D」 道場(どうじょう) 前編
・第3回 「C」 センタープラザ
第2回 「B」 弁天町(べんてんちょう)
第1回 「A」 相生橋(あいおいばし)

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