神戸ABCの旅(11)「K」神戸駅
- 2022/01/10
- 21:48
●第11回 「K」神戸駅(こうべえき)
「K」で始まる地名は神戸市内にいろいろあって迷いました。たとえば東灘区だと甲南◯◯がたくさんあるし、灘区だと摩耶山の「掬星台(きくせいだい)」、究極的には廃止になったこうべ電鉄の駅「菊水山」、それに「高速長田」なんかもKで始まるわけです。しかし、少し考えれば「神戸」自体が「K」で始まっているということに気づき、じゃあ神戸駅に行ってみようかということで、神戸駅を訪れました。神戸の外から「神戸に行く」というと、だいたい三宮や元町を訪れることになりますが、神戸市内から「神戸へ行く」というと、たいていは神戸駅付近のことですね。
駅を出て神戸駅の変遷や、駅の周囲について案内はないのだろうかと探してみると、目に入ってきたのは背の低い記念碑でした。正面に「戦災復興」と大きな文字があり、「昭和57年11月 施工者神戸市長 宮崎辰雄」と彫ってあります。上面には直線や曲線が彫り込んでありますが、これは周辺の地図。事業範囲を示したものではないでしょうか。テープが貼ってあって、彫ってある地図を隠そうとしたように見えます(理由は分かりません)。側面には「神戸国際港都建設事業兵庫地区/復興土地区画整理事業/神戸駅前工区完成記念」「事業着手 昭和21年9月/事業完成 昭和57年6月」とありました。昭和21年(1946年)といえば、第2次大戦終結の翌年です。完成したのは神戸ポートピア博覧会の翌年である1982年だというのを、この碑が示しています。
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シリーズ「神戸ABCの旅」の第11回です。神戸の地名をアルファベット順に1カ所ずつ訪ねていくうちに、長らく離れていた神戸の土地勘も戻るのではないかという企画です。昨年10月17日に「J」の「十二件道路」を掲載して以来、ぼちぼちペースを上げなくてはと思っていたのですが、まあ引き続きぼちぼち進めたいと思います。足元では新型コロナウイルスの関係で再びウロウロできなくなる日々が訪れないうちに、できるだけ進みたいと思った前回から3カ月。もう少しペースを上げてもいいかもしれませんが、今回もお付き合いをお願いいたします。
「K」で始まる地名は神戸市内にいろいろあって迷いました。たとえば東灘区だと甲南◯◯がたくさんあるし、灘区だと摩耶山の「掬星台(きくせいだい)」、究極的には廃止になったこうべ電鉄の駅「菊水山」、それに「高速長田」なんかもKで始まるわけです。しかし、少し考えれば「神戸」自体が「K」で始まっているということに気づき、じゃあ神戸駅に行ってみようかということで、神戸駅を訪れました。神戸の外から「神戸に行く」というと、だいたい三宮や元町を訪れることになりますが、神戸市内から「神戸へ行く」というと、たいていは神戸駅付近のことですね。
横浜駅との共通点は「横浜行き」がないことでしょうか
神戸駅といえば旧国鉄の東海道本線の終点でした。東海道本線は日本で最も古い鉄道路線の1つです。日本初の鉄道である新橋(現在の東京・汐留付近)と横浜(現在の横浜・桜木町付近)を結んだのに続いて、1874年(明治7年)に大阪〜神戸が開業します。そして新橋〜神戸の東海道本線全線が開業したのは1889年(明治22年)のことでした。20世紀後半に入って海外渡航は航空機が主流になるまで、神戸まで鉄道で向かって米国へ、欧州へ、といったことが日常でした。当時の文学作品にも出てくることがあります。その名残りが、下りホームから見える標識でしょう。東京まで589キロと340メートルというわけですね。しかし東京駅にも起点を示す、同様の標識があるんでしょうか。東京に23年間、住んでいましたが、ついに見つけたことがありませんでした。今度、東京に行ったら駅員さんに聞いてみたいと思います。
山陽本線は「山陽鉄道」が敷設し、のちに国有化されました
東海道本線の終点、山陽本線の起点という役割は正式になくなったわけではありません。しかし現在はJR神戸線の途中駅という位置付けです。普通電車でも神戸始発・終着より、須磨始発・終着のほうが多いぐらいです。神戸発の長距離列車があった名残りが1番線のりばです。しかし1番線のホームに上がる階段には柵があり、通常は立ち入りができません。団体用などで、ごくまれに使うケースがあるようです。JR西日本の駅では兵庫県内で三ノ宮に次ぐ2番目の乗降客数があります。三ノ宮も神戸も交通結節点ですが、神戸駅前のバスターミナルからは、主に神戸市バスへの乗り換えが多いようです。神戸駅から兵庫区、長田区、須磨区に広がる住宅地に向けて神戸市バスが伸びています。神戸駅前のバスターミナルは駅の北側にあります。
1番線ホームには上がれなくなっています
バスターミナル側の出入り口が神戸駅のメーンの出入り口のようで、駅舎もこちら側から見た方が立派です。三ノ宮駅は神戸の中心ということで、駅舎ビルは高層化して土地を高度利用しようということのようですが、神戸駅は昔の中心地ということでしょう。駅舎も昔のデザインをほぼ維持して、そのうえで駅構内の高架下などを有効活用しようという方針のようです。改装後のデザインもレトロです。駅舎の外観にレトロな雰囲気を残しているばかりでなく、いつの時代のものか分かりませんが、時計のステンドグラスはとても美しいです。待ち合わせ用の目印として設置してある風見鶏の目印「神戸夢見鶏」のデザインも周囲のレトロな印象に合わせたようでした。
全体的にレトロなデザインの駅舎
駅を出て神戸駅の変遷や、駅の周囲について案内はないのだろうかと探してみると、目に入ってきたのは背の低い記念碑でした。正面に「戦災復興」と大きな文字があり、「昭和57年11月 施工者神戸市長 宮崎辰雄」と彫ってあります。上面には直線や曲線が彫り込んでありますが、これは周辺の地図。事業範囲を示したものではないでしょうか。テープが貼ってあって、彫ってある地図を隠そうとしたように見えます(理由は分かりません)。側面には「神戸国際港都建設事業兵庫地区/復興土地区画整理事業/神戸駅前工区完成記念」「事業着手 昭和21年9月/事業完成 昭和57年6月」とありました。昭和21年(1946年)といえば、第2次大戦終結の翌年です。完成したのは神戸ポートピア博覧会の翌年である1982年だというのを、この碑が示しています。
右下から左上の斜めの線が多聞通、最も左が湊川跡(新開地)
神戸駅の北側の区画整理は36年もかかった大事業だったことが分かります。大変な事業だったのですね。確かに周辺をうろうろしても戦前の面影は見当たりません。戦前の面影とは別に、元町商店街から神戸駅前の広場を通過して、中央市場の方面に向かう西国街道の痕跡もほぼ見出せないのは残念です。いまも西国街道だった道路は残っているわけですが、これをバスターミナルの広場が分断しているのです。兵庫津を史跡として見直そうという気運が高まる(高めたい?)中にあっては、神戸駅から西国街道をたどって、中央市場の近くにある西国街道が直角に曲がる辻まで行けるようにしても良いのではないのかな。
煎茶の中に白い菊の花「菊水茶」
そんなことを思いながら湊川神社の向かいにある「菊水総本店」1階の喫茶コーナー「菊水茶寮」で冬季限定「かき雑炊」(1250円)を注文しました。写真は、かき雑炊を食べ終わった後に付いてくる「菊水茶」です。普通の煎茶だけではなく、菊の花が浮かんでいます。お店の方は「ハーブティーのような感じです」と話していました。この店の創業は明治元年。初代兵庫県知事の伊藤博文らが湊川神社の創建を建議した年です。菊水というのは湊川神社が祀(まつ)っている楠木正成の家紋です。この年の1月1日が神戸開港でした。新しい神戸の始まりに、シンボルとしての湊川神社。もうすぐ神戸駅もできる。創業当時は活気にあふれていたのでしょうね。
(神戸経済ニュース編集長 山本学)
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